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ひとり仏教の会



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サイトの趣旨


大型書店には、必ずと言ってよいほど、仏教書コーナーがあり、
一人、二人と、本を手に取っている姿が見られます。
寺院はおおむね、活力を失い、
新興仏教教団はどうも信用がおけないという事で、人は足を運ばなくなって来ています。
しかしながら、生きて行くという事への、本源的な不安は、いつまでも人類につきまといます。
仏教へのニーズは、今も昔も、変わらずにあるのです。
そこで、最近では、質の良い入門書も手に入るようになった事もあり、
仏教を独習しようという人が増えたのです。
このホームページは、一人で仏教を学習する者に、有益な情報を提供し、
かつ、メンバー同士が、相互に意見交換できる場所として開設されました。
生まれてはじめて、仏教を勉強してみたいと言う方、
どこかの教団や寺院に所属していたが、ウンザリし、
これからは単独で実践して行きたいと言う方、どうぞ、お越し下さい。
当会は、特定寺院や教団に所属せず、ひとりで仏教を学び、実践する者達のグループです。
宗教団体を有形のサンガ(僧伽)とするならば、ひとり仏教の会は無形のサンガです。
指導者も、組織も、教義も、会堂も存在しません。
対等な立場で、仏教を勉強し合っております。
インターネットを中心に活動し、時折、メンバーが個別に集まり、懇談会を行います。
参加費用は、一切かかりません。
ひとり仏教の会では「仏教」の定義を
≪釈迦を源流とする一連の思想系譜≫としております。
釈迦を神聖化しているわけでもなく、特定の宗派の立場に立つものでもありません。
宗派にこだわらずに、集まって下さい。
ひとり仏教の会は、
「これが本当の仏教だ!」「これが正しい経典解釈だ!」と言う事を、論じ合う場ではありません。
お互いに、謙虚に学び合う事を目的とするコミュです。
自説を人に伝える事を目的とする参加は、御遠慮ください。


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ひとり仏教のすすめ


無謬主義

「無謬主義」とは、「決して誤りが無い」とする立場です。
キリスト教では、聖書には決して間違いが無いとされています。
イエス・キリストには、決して間違いが無いとされています。
このように「聖典」や「教祖」を間違い無いとする態度、これが無謬主義です。

しかし、教祖も人であり、聖典も人が書いたものです。
決して間違いが無いと、言えるでしょうか?

伝統仏教宗派においては、「宗祖」という存在が無謬化され、

新興仏教教団の場合は、「開祖」「教祖」「会長」という存在が無謬化されています。

もし、宗派内、教団内で、これらのものを批判しようものならば、

「信仰は理屈ではない」と言われて、封じ込められてしまいます。


確かに、信仰においては、理屈よりも実践が大切でしょう。
しかし、実践の規範となるものが、理屈なのです。
その理屈が間違っていると思うならば、

たとえ、教祖の言葉でも、宗祖の言葉でも、用いない事が当然でしょう。


人間一生の価値が、教祖や宗祖の発言に劣ると言うのならば別です。
ですが、自分の一生は、かけがえのない一生でしょう。
教祖や宗祖を信じ、その言う通りに実践して、もし、失敗したら、

誰が責任を取ってくれるのでしょうか?
誰も責任など、取ってくれないのです。

だから、決して何者かを無謬としてはなりません。
どんな人間にも、間違いはあるものなのですから。


教団活動の要求

教団活動を強いられる事が、悩みの種となります。
教団の中において、勧誘行為を一切しないと言う事は、

はなはだ居心地の悪いものとなるでしょう。
勧誘行為をし、教団に貢献すると言う事が、自分を認めさせる事につながるからです。


かつ、勧誘行為が、修行の一貫であると教義付けられている場合、

勧誘活動を行う事なく、平然と教団に顔を出すと言う事は、

その者の信仰を疑われる結果となります。


だから、大切な親友を勧誘し、親類を勧誘します。
その事によって、人間関係が絶縁する事もあります。
親友を失い、恋人を失い、親戚を失い、家族を失う事もあります。
職場で勧誘行為を行う事で、職を失う事もあります。


本当に、自発的に行っているならば、それでも諦めがつきます。
ところが、教団の側からの見えざるプレッシャーがかかっているのです。

友人を失っても、恋人を失っても、

それよりも素晴らしいものが与えられているのならば良いのです。
実際は、どうでしょうか? それは自分の実際の人生を見ればわかる事でしょう。


教団の指導を素直に聞いて、真面目に頑張れば頑張るほど、

かけがえのない大切なものを失っているのではないでしょうか?

人間関係は築くのは時間がかかります。
壊すのは一瞬です。
壊れた責任を、そして、壊れた代償が何も得られなかった事に対する責任を、

教団がとってくれると言うのでしょうか?


誰も責任など、とってはくれません。
全て、自分一人で、噛み締めて行かねばならないのです。

悩みを解決し、苦しみを取り除くのが仏教なのに、

教団そのものが悩みの種となり、新たな苦しみを増大させるのであれば、

それは正しい仏教ではないのです。


乏しい人間関係

教団に入る事で、「信者同士」という仲間が生じます。
ですが、その事が、教団以外の人間関係を乏しくさせる結果になりやすいのです。

教団信者は、往々にして、教団の人間関係こそ、真の人間関係であり、

教団以外の人間関係は、仮の人間関係に過ぎないと言う発想に陥ります。

同じ信仰を共有しない限り、本当の人間関係とは言えないと言う考え方です。

これにより、親友や恋人を、熱心に勧誘しようとします。
親友や恋人と同じ信仰を共有し、本当の人間関係になるためにです。


ならば、それまで、親友や恋人は、本当の人間関係ではなかったと言うのでしょうか?
「親友」ではなくて、ただの「遊び仲間」だったと言うのでしょうか?
「恋人」ではなくて、ただの「セックスフレンド」だったとでも言うのでしょうか?
そう考えれば、どれだけ失礼な思考をしているかが、わかるはずです。


失礼な思考から、勧誘するから、当然、断られます。
断られるどころか、人間関係の縁すら切られる場合があります。
当然でしょう。
教団に入る事で、ますます普通の人間関係がとぼしくなって行くのです。
教団外の人間関係がとぼしくなるから、

教団内の人間関係しか、自分にとって無くなって行きます。

教団の人間関係は、同じ価値観を共有するからラクなのです。
しかし、教団の一員として認めてもらうための「条件」が必要です。
この「条件」がクリアーできなければ、逆に、白眼視される事もあります。
その「条件」とは、「勧誘成果」です。


教団内において、仲間として認めてもらうためには、「勧誘成果」を上げなくてはなりません。
これを実らせなければ、教団内での風通しが悪くなるのです。
契約の取れない営業マンの社内的立場と一緒です。
だから、ちょっと知り合いになっただけで、勧誘行為を行うようになり、

それにより、作れる友人も、作れなくなってしまうのです。

教団信者でも、要領のよい人は、外部での人間関係のネットワークを作るのが巧みです。
そういう人は、一見、人間関係に恵まれているように見えます。
しかし、実際は、外部の者から、

心理的に距離を開けられている事に気づかないケースが多いのです。
なぜならば、機会あるごとに、会合への参加を誘ったり、

機関紙の購読を依頼したり、選挙の投票を呼びかけるからです。
「友人が多い」と思っているのは自分だけであり

、実際は、深い人間関係は、それほど周囲に無いのです。

これは、教団自体にも言えます。
どんなに世間に対し、友好的な顔を作ってみせても、

根底に、他の宗教への蔑視と言う教理を抱えている教団は、

本当の意味では、社会に相手にされていないのです。


仲良くしてみせれば、メリットがあると思って、その教団と交流してみせても、

実際は、その教団を信頼しているわけではないのです。
距離を置きながら、その教団に接しているのです。
教団のトップが、世界的な識者と会って、握手を交わします。
その教団が、もし、その世界的識者に、本当に認められているのならば、

世界的識者は、その教団に入会するはずです。
実際は、そんな事は決してしないのです。

熱心に勧誘行為をするばかりに、人間関係を失い、

あるいは、人間関係があったとしても、本当に信頼し合える人間関係が無いのです。
それでは、あまりにも人生がみじめです。
教団とかかわる事なく、普通に人間関係を築いて行ったほうが、幸せなのではないでしょうか?

教団の人は、教団と言う人間の集団を、大切にします。
「こんなに思いやりのある人間集団は無い」と言います。
という事は、教団の人間関係は思いやりがあって、

教団以外の人間関係に思いやりが無いという事になります。
つまり、教団の人は、教団の外の世界を軽蔑しているのです。
それが、教団以外の人間関係を作れなくさせてしまっている原因です。

本質的に、人間は孤独です。
親も、いつかは死んでしまいます。
結婚した相手とも、いつ別れるか、わからないのです。
子供も、遠くに行ってしまうかも知れないのです。
一人生まれ、一人死に行くのが人間です。

「孤独」を覚悟しない限り、人は幸福になれないのです。
「孤独」を覚悟するからこそ、かえって、人の温みがわかります。
わずかな人の親切にも、心を打たれます。

ある特定の人間関係の中で、ぬくぬくとするのではなく、

自ら、孤独に身を置いた時に、全ての人が「仲間」となります。

教団と言うコミュニティーを脱した時に、

全ての人類が、自分にとってのコミュニティーとなります。


自分を犠牲にしないために

そもそも、人はなぜ宗教を求めるのでしょうか?
それは、不安の多い世の中で、どう生きて行けば良いのか、わからないからです。

自分の判断力さえ、アテにならないから、ワラをつかむ思いで、宗教を求めるのです。


信者と言うのは、その教団の指導者を、

「自分を幸福に導く絶対の存在」として信じる事で、生きて行くエネルギーを得ています。


であるならば、教団においては、教団の指導者の言葉は絶対であり、

信者は、ただそれを受け入れて行く存在となります。


こうなれば、指導者の資質によって、組織が腐敗する可能性があります。

組織が腐敗すれば、信者が犠牲になるのです。


「悩みを解決するのが仏教のはずなのに、なぜ、教団に居る事で、悩みがふくらむのだろうか?」
と頭を抱えている者は、すぐさま「ひとり仏教」の道を歩み出す事です。
「ひとり仏教」とは、誰に従う事もなく、まどわされる事もなく、

一人で仏教を学び、実践する事です。


かつて内村鑑三は、特定の教会に所属しない、「無教会主義」のキリスト教を唱えました。
真のキリスト教の信仰は、誰にも邪魔される事のない、

「ひとり」での信仰の中にしか得られないと考えたからです。
仏教においても、まったく同じ事が言えるのです。

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以上、ひとり仏教の会、主催者・三崎無我



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